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新興国情報

コートジボワール大統領選混乱の真因と今後の見通し(前編)
2011/04/15

コートジボワールについては、前回4月1日の記事で、大統領選後の混乱についてまとめた。4月11日には、ついに現職のバグボ大統領が拘束される事態に至り、混乱は収束しつつある。

それでは、今後のコートジボワール経済はどうなるのか。「西アフリカのパリ」と呼ばれたアビジャンは輝かしい時代を取り戻せるのかどうか。こうした点を考えるために、まずは、今回の混乱を引き起こした同国の歴史を振り返ってみたい。混乱の真因を探ることで、今後の同国の情勢についても、見通しがよくなるのではないかと考えている。

移民を大量に動員したカカオ豆生産

コートジボワールは1960年8月に独立。独立前からフランス政治界で活躍すると同時に、国内全地域でも支持の高かったウフェ・ボワニ氏が初代大統領に就任。行政権は全て掌握、報道規制、野党は存在しないという典型的な独裁政治を行う。

しかしながら独裁の下でも、1960年代−1970年代に平均実質経済成長率8%という「イボワールの奇跡」を実現。この経済成長を支えたのがカカオ豆生産への注力だった。

ウフェ大統領はカカオ豆生産を大規模化するため、移民を大量に活用する政策を実施する。マリ、ブルキナファソ(当時オートボルタ)、ギニアなどサブサハラアフリカからの移民がジャングルを開墾しカカオ豆生産を行う。1965年の統計では労働力の半数が外国人労働者だったとも言われているほどに、移民はコートジボワール経済にとって重要な存在となっていた。

このチョコレート原料であるカカオ豆生産拡大に向けた移民政策が、将来的に大きな影響を与える一因となる。

ウフェ大統領は国民の広範な支持を受けていた。これはウフェ大統領の出身部族のバウレ族を厚く遇するとともに、北部移民系部族も、カカオ豆生産者として手厚く保護していたため。実際には、バウレ族の中には勢力を拡大する北部系住民に対して不満を抱いていたものもあったが、カカオ豆生産における北部系住民の重要性を認識していたウフェ大統領がそれを押さえ込んでいた。結果的に、借金に支えられたとはいえ経済は成長し、住民間対立もそれほど多くなく、大統領は半ばカリスマ的な支持を集める結果となる。

イボワールの奇跡は、経済成長をあてにした借金に依存していたものであり、カカオ豆価格が下落した1980年代には経済は減速。債務不履行状態に陥り、1989年にIMF(国際通貨基金)に救済を求める事態に至る。

経済は復活しないままに、1993年、ウフェ大統領が死去。これにより権力の空白が発生。

なお今回の混乱で現職バグボ大統領と対立した元首相のワタラ氏は、このウフェ大統領の下でIMFからの指示を受けつつ、同国の経済復興政策を担う。1990年には首相として、まさにウフェ大統領の右腕として政権運営にあたった。

(佐藤 重臣)

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